第42回

「ライリー・ヒート」


マイアミ・ヒートのHC(ヘッドコーチ)を勤めるパット・ライリーが辞任を表明しました。
これからは兼務していた球団社長としてチームには留まるそうです。
後任にはライリーのもと、AC(アシスタントコーチ)を勤めてきた
スタン・ヴァン・ガンディ氏がHCに昇格します。


 「私がここへ来て8年、チームは大きく変化した。
  これからはHCとしてのプレッシャーから開放され、組織運営に集中できる日を楽しみにしている。
  私が築いたチームを私は管理するつもり。コートから18フィートある場所から。
  見守り、干渉しないよ。」(パット・ライリー)

2002-2003シーズン、ラマー・オドムを獲得し「パット・ライリーHC」として
最後の勝負に出るかと思っていただけに衝撃の辞任劇です。


ロサンゼルス・レイカーズでHCとしてのキャリアをスタートさせたライリー。
マジック・ジョンソンにカリーム・アブドゥルジャバーを率い、
「ショータイム・レイカーズ」として4度優勝を飾り、NBAを席巻。
ジャバー引退後の1990年に
「互いに変化を必要としている」
とチームを去りました。

ニックスへ移ってからは「ディフェンス重視」の流れをリーグに作り、ルールさえも変えさせたライリー。
しかし、その丹精込めて作り上げた「組織」も「マイケル・ジョーダン」という「個人と言う枠を極めた個人」を筆頭とした
新しい形の「組織」を討ち果たすことができず、ニックスでの優勝は遂に叶いませんでした。
そこからチーム首脳と人事権についての折り合いがつかず、チームを去ることになりました。

そのライリー獲得に動いたのが当時、球団設立間もない弱小チームのマイアミ・ヒート。

ヒートはライリーとニックスの契約に抵触してまでライリー獲得に動き、(結果、ペナルティを払う結果になりましたが・・・)
当時「まるでキングのような待遇」と言われるほどの待遇でライリーを獲得。
ヒートで人事権を得たライリーはそのスタンスを変えることなく、そしてそのスタンスを実践すべく、
アロンゾ・モーニングを中心に一夜にしてドアマットチームを強豪として生まれ変わらせました。
それが1995-96シーズン。
そしてそこから、紆余曲折を経て遂に勝負に出たのが2000-2001シーズン。
ティム・ハーダウェイ、エディ・ジョーンズ、ブライアン・グラント、アンソニー・メイスン、そしてアロンゾ・モーニング。
中でもハーダウェイ、モーニングはシーズン前の夏にシドニー五輪で金メダルも獲得。
まさにプレイヤー、コーチがチームとして揃った「ライリー・ヒート」の勝負の年。

しかし、そのシーズン開幕前・・・。
エースにして守護神、大黒柱、主力・・・、まさにオフェンス・ディフェンス・組織と全ての中心である
アロンゾ・モーニングの肝臓疾患でその根底は見事に瓦解。
そのシーズンを「緊急事態」と言う名での結束力をフル活用し、乗り切りシーズン終盤には
モーニングも復帰し、遅れは生じたものの事成るかと思われました。
がしかし再び、モーニングが肝臓疾患によりドクターストップがかかり、昨シーズンにいたっては全欠。
加えて主力の怪我などもありここ2シーズン、プレイオフにさえ出場できていません。
モーニング獲得で始まった「ライリー・ヒート」ですが、そのモーニングを失い終わりを告げました。


後任のスタン・ヴァン・ガンディHCはヒューストン・ロケッツで新しくHCとなった
ジェフ・ヴァン・ガンディHCの兄です。

「この話は18ヶ月前から2、3回あった。
 私はパット・ライリーであろうとするつもりはない。しかし、チーム哲学として差はない。」(スタン・ヴァン・ガンディHC)

今シーズン、「最後の勝負」にでると思われたマイアミ・ヒートがまさか「新たな一歩」を
踏み出そうとしているとは思っても見ませんでした。



「厳しすぎる」「管理が細かい」「ゲームを面白くなくした」等、多くの批判のあるライリーですが
「ジョーダン」を率いないコーチがその「ジョーダン」に勝つ為に編み出したのが
この「負けにくい」戦い方なのではないのでしょうか。
現在、リーグ随一の「名将」と言えば恐らく過半数以上の人がフィル・ジャクソンの名をあげるでしょう。
ジャクソンはトライアングル・オフェンスとジョーダンに出会い、現在の「名将」に登りつめました。
しかし、ライリーはジョーダンにもトライアングル・オフェンスの師とも出会わず、
マジックに出会いショータイム・レイカーズを作り、ユーイング、モーニングを得てフィジカルなチームを作りました。

最後にライリーのほれ込んだ「ラマー・オドム」と言う才能に出会った「パット・ライリーHC」を見たかったのですが、
この新しいチームを作るチャンスを「自分」にではなく、「チーム」のための新しい一歩として生かそうと考えての結果だと思います。

パット・ライリー、私の中では今も名将です。

asua



ちなみに、「Photo Studio」でロビンソン引退の時のように、ライリーの写真を一斉公開しようかと思ったのですが、
帰ってくることを信じる気持ち半分、「干渉しない」とは言ってるものの耐えられないだろうと言う気持ち半分で(笑)
またの機会とさせていただきます。



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