ここでは、NBAの時事関連の話しを客観的に見ず!(笑)
主観だけで話す、かっこよく言えばコラムです(笑)。

(コラム、使い方間違ってたりして・・・チョイマジで不安(笑)。)



ジョーダン欠場。
そして代役はクワミ・ブラウン。
この高校を卒業したばかりの
青年に一体、何を期待するのか?
そして、何をすれば彼は認められるのか?

「あのジョーダンの代役なのだから、20点は取ってもらわないと。」
ボツ。
チームの勝利。
これでしょう。
よく「α(チーム名)のエースA(個人名)と
β(チーム名)のエースB(個人名)を比較!」
なんて企画を雑誌などで目にしますが、
じゃぁ、Aが50点取って、
Bが30点だったとします。
それでも試合に勝ったのはβでした。
けど、Aの勝ちなのか?
Aに抜かれても、
βの誰かがゴールしたで止めさえすれば
そのオフェンスは失敗であって、
Aの行ったオフェンスでの選択は失敗なのです。
抜いたところまでは成功、そのあと失敗。
ではないのです。抜いて決めて初めて、その「抜く」という行為は評価されるべきです。
「ナイス・シュート。けど、その前のドリブルもよかったよなぁ」と。

つまり、勝敗も一緒。
もっとわかりやすく、極端に言いますと、
Aが98−100でBに負けたとします。
この時、αは98得点でした。
βは30得点でした。
けどですよ?
逆に考えると、もしαがボールを独占せず、
パスを回せば、チームとして志気が高まり、
ゲームに勝てたかも知れない。
と言うことはαは全然ダメだと。
また、それだけの信頼をチームから得てる人間は
得ている信頼同様、大きな責任を負うべきで、
「γ(チーム名)は不調だが、C(個人名)はよくやっている。」
「頑張ったからいいじゃん」と言われるのは、
高校バスケまで。
プロならば、勝利を求める集団なのだから、
勝利だけが評価されるべき。

で、話しがズレまくってますが(笑)。
クワミ・ブラウン。
もし彼がスタメンで出ることによって、
「ウワ、こいつスタメンか。
頑張らんとやばいな。」
と回りに思わせることによって
チームが勝利しても彼は評価されるべき。
例え、6得点ぐらいに終わっても。
そして、彼がシュートせず、
回りにパスをさばくことによって、
アシストにならないパスばかりさばいたとしても、
勝利を導き出す行動をしたのならば、評価すべきだと、私は思います。
逆に言うと、クワミ・ブラウンが50得点しても
試合が大敗だった場合、私は彼を個人としては評価しますが、
チームの一員としては「ダメだ」と。
ロバート・オーリーがなぜ今レイカーズにいられると思います?
数字は悪いが働かなくてはならない時に、勝利のために働くからです。

前に、「ジョーダンを批判する奴らは若手の出番を奪っていると言うが、それは間違いだ」
みたいなことを言ったことがありました。
しかし、これは別にジョーダン擁護運動ではあっても「ジョーダン派」と言うわけではなく、
その件に関しては、と言うだけのこと。
私はチームのファンではなく、
NBAのファンになってからできるだけ客観的に物事を見るようにしています。
(あくまで、「している」ですけど(笑))
「復帰したのに作シーズン今頃にはウィザーズは??勝していた。
復帰はマイナスだ。」
と言うのなら、
私はうなずきます。
(そうかどうかは知りませんが。念のために)

要するに、チーム競技で個人を評価するのは
チームが勝利していることが大前提。
ですんで、今度の月間MVP候補の
ジョーダンの名前があったことは
密かにちょっと不満でした・・・。

がんばれ、ジョーダン!
嫌いなわけではないんです。
タダ、「ジョーダンにならできるはず。
やってよ!」
と、私の場合有名選手になればなる程、評価が辛くなります。
ある意味、愛情(笑)、と取っていただけると大変助かります。

だから、話しを再び、戻して終わりにしようと思いますが(笑)、
クワミ・ブラウン、彼はまず、チームを勝利に導くこと。
それから得点だの何だのの評価を受ける権利を得るのです。
ですんで、繰り返すようですが、現段階ではそう言ったスタッツは
検査(?)対象外。
ということで。
あまいんだか、辛いんだか(笑)・・・。


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